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Channel: ずぼら堂懐古録
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「三立土地建物」

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船場の平野町に残る三階建ての町家。
看板等は見当たらないが、地図上では「三立土地建物株式会社」と記されている。





建物の左隣は飲食店が入居している。
以前はこちらの方も古い和風建築だったのではないかと思う。





敷地東角には古い蔵が残されている。
おそらくその向こう側は中庭ではないだろうか。



蔵の隣にある芸文社ビル内には古い平野橋の親柱が飾られていた。
現在、東横堀川に架橋されているものは昭和10年(1935年)のものなので
それ以前のものだろう。
明治期に架けられた鉄橋(明治31年、1989年)のものだろうか?



『三立土地建物』
旧称:
住所:大阪市中央区平野町1-6-12
指定:

階数:地上3階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年9月
現況:2015年3月現存(Google Mapで確認)

【参考】
参考図書一覧
宅建協会中央支部 三立土地建物(株)
大阪市市政 平野橋(ひらのばし)

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建築リスト 大阪府

「三栄源エフ・エフ・アイ 本社」

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船場の平野町一丁目にある三階建ての商家建築。



明治44年(1911年)創業の清水源商店と三栄化学工業とが合併して出来た会社で
主な取扱品目は食品添加物。
会社のホームページによると「本社」とはもと清水源商店だったこの建物である。
これとは別に豊中市に「本社工場」があるが、そこは三栄化学工業の本社だったのだろう。



大阪の古い商家のほとんどと同じように、かなり奥行きが深い。



建物の真ん前が葉の大きいプラタナスのため、葉が邪魔になり建物の撮影・観察が難しい。
じっくり見たい場合は葉が落ちる冬季が良いのかもしれない。



洋風デザインを取り入れたうだつ(袖壁)は黒と白の二色に塗り分けられていた。



一階は格子窓。窓枠は木製。



こうして玄関ドアにカーテンが下ろされていて張り紙があると
悪い予感がしてしまうが、幸い、解体の告知ではなかった。
2016年現在、会社のホームページには本社社屋としてこの建物の社屋が使用されている。



2013年に撮影した写真には並びにあった酒屋「喜久屋本店」の建物が写っている。
残念ながら喜久屋本店はすでに解体され、現存しない。

『三栄源エフ・エフ・アイ』
旧称:清水源商店
住所:大阪市中央区平野町1-4-9
指定:

階数:地上3階
構造:木造
設計:不詳
施工:不詳
竣工:昭和9年(1934年)

撮影:2014年9月、2013年8月
現況:2015年3月現存(Google Mapで確認)


【参考】
参考図書一覧
三栄源エフ・エフ・アイ株式会社

【一覧】
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建築リスト 大阪府

×「西区本田四丁目の長屋」

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大阪市西区本田、バス停「国津橋」の近くに古い長屋があった。
残念ながら解体され、コンビニの「セブンイレブン大阪本田四丁目店」に変わってしまった。





二階の階高が非常に低いこと、窓の感じからすると明治時代の建物かも知れない。
築100年は超えているだろう、と思っていたのだが、どうだろうか。



真ん中の区画だけ、
木製の格子戸が入っていて住宅として使われているように見えた。
建物右側は事務所か倉庫だったように思う。
(ネット上の地図では「国津精機」と表示される)



そして驚いたことに左側は駐車場として使用されていた。



かなり奥行きが深い。
外壁にはプラスチック看板の枠だけが残っていた。
以前は町工場だったのではないだろうか。





現在は写真右端の「児童かきかた研究所」だけが残っている。


国津橋付近。「大阪市パノラマ地図」(1923年)

地図の左側にある大きな川が安治川、右手の細い川は古川。
古川は1952年に埋め立てられて現存しない。


『西区本田四丁目の長屋』
旧称:
住所:大阪市西区本田4-7-2
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2015年2月
現況:×(2015年に解体)

【参考】
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「みかどパン店」

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台東区谷中、地域のランドマーク的存在である大木(ヒマラヤ杉)。
その隣の小さな店の名前は「みかどパン店」。
「みかど」は「帝」ではなく、三叉路にあることから「三角」=「ミカド」とのこと。



ヒマラヤ杉は樹齢約100年。
もとは鉢植えだったそうだが、ご覧の通りの成長具合である。



周辺は寺院が多く静かな佇まい。
「みかどパンとヒマラヤ杉」の風景は谷根千と呼ばれるこの地域では非常に有名らしい。
だが、私が行った時はいつも人がおらず、それゆえにタイムスリップしたかのような
不思議な感覚を味わえた。



「みかどパン店」の隣は長屋。



数年前より再開発のためにヒマラヤ杉が伐採されるのでは、という噂が流れていたが
その後どうなったのだろうか。
保存運動は現在も続いているようだが…

『みかどパン店』
旧称:
住所:東京都台東区谷中1-6-15
指定:

階数:
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年3月
現況:2016年1月現存(Google Mapで確認)

【参考】
参考図書一覧
谷中ヒマラヤ杉基金 | Facebook
ヒマラヤ杉と寺町谷中の暮らしと文化、町並み風情を守る会

【一覧】
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建築リスト 東京都

「三榮」

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大阪市中央区谷町一丁目、各線「天満橋」駅近くにある商家。



分かりやすい看板等が出ていないため、どういう店なのか不明。
タウンページの業種は『毛織物』とのこと。

画集『大阪の古い町家と建物』(畑和博)にこの建物と思われる絵が掲載されている。


『黒壁の商家』1995年



20年ほどの間に2階の窓は交換したようだが、他はほぼ描かれた当時のままのように見える。

『三榮』
旧称:
住所:大阪市中央区谷町1-3-8
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年9月
現況:2016年4月現存(Google Mapで確認)


【参考】
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「北新町の洋風建築」

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大阪市中央区北新町にある洋館風の建物。
これが本当に古い建物なのかどうか、判断しかねている。
福島区内にもよく似た煉瓦調の建物があるが、そちらは1980年代築なので
同時期の建物なのかもしれない。



ネットにも手元の近代建築の本にもこの建物についての記事が見つけられなかった。
ようやく探し当てたのが画集『大阪の古い町家と建物』(畑和博)。
『レンガ作りの家』というタイトルの絵が掲載されている。





建物の特徴と言い、周辺の様子と言い、おそらく同じ建物だろう。
隣がパーマ屋であること、すぐ近くに丸みのあるグレーのビルがあること、
建物の前に駐車禁止の看板が2基置かれているところまで同じだ。
なお絵が描かれたのは1995年。
今から約20年前に画家である畑氏が「古い建物」と判断したということは
やはりこれは古い建物なのだろう。

私の勝手な想像だが、左手の製紙企業のグループ企業の建物と同じ番地であるので
もとはひとつの建物だったのではないか。
大阪の古い商家の形式として、昔ながらの和風建築の表屋に洋館が付いていることがある。
(例:此花区の鴻池組旧本店
時を経て、和風建築の方が現代風のビルに建て替えられ、
洋館だけが残されたのではないだろうか。





隣の建物(ノーブル美容室)も味わい深い。


『北新町の洋風建築』
旧称:
住所:大阪市中央区北新町2
指定:

階数:地上2階
構造:
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年5月
現況:2016年4月現存(Google Mapで確認)

【参考】
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「淡路町三丁目の住宅」

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大阪船場、淡路町三丁目の角地にある建物。



箱軒、鎧壁の古そうな商家建築で、今は一軒家だが
もともとは西側に建物が続く長屋だったのではないだろうか。



現在は看板は出ておらず、個人名の表札のみが掲げられている。
個人住宅として利用されている模様。
なお、北隣のビルは大正期創業の老舗古書店「中尾松泉堂書店」の本店。



こちらは2013年に撮影したもの。
以前は西隣に建物があったようだが、2015年の写真(上記2点)では白い塀に変わっている。
グーグルのストリートビューにて確認したところ
2016年現在はコインパーキングに変わっている。

『淡路町三丁目の商家』
旧称:
住所:大阪市中央区淡路町3-4
指定:

階数:地上階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2015年5月、2013年8月
現況:2016年4月現存(Google Mapで確認)

【参考】
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「道修町四丁目の商店建築」

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大阪船場、道修町四丁目にある商店建築。



看板等が無く、もとは何の商売をしていたのか不明。
二階の窓の横に残された赤い丸い看板が営業当時の名残。

この建物と思われる絵が画集『大阪の古い町家と建物』(畑和博)にあった。
小さな無名の商店建築は人々の記憶にも記録にも残りにくいので
こういう画集があるのは非常にありがたい。


『町の時計屋さん』1994年



壁の色は変わっているが、同じ建物だと思う。
赤い丸い看板は時計メーカー「マルマン」のもの。



かつてはこのシャッターボックスに「松本時計店」と書かれていた。

『道修町四丁目の商店建築』
旧称:松本時計店
住所:大阪市中央区道修町4-5
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2015年10月
現況:2016年4月現存(Google Mapで確認)

【参考】
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「北島打抜金網(北島打抜工業所)」

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大阪市中央区安堂寺一丁目、長堀通沿いにある商店建築。





打抜金網=パンチングメタルのこと。



二階の壁はつややかな黒いモザイクタイル。
京都だと一見タイル貼りに見えても、着色した金属板の型押しであることが多いが
大阪ではそういう外壁はほぼ見かけない。
(少なくとも私は見たことが無い)



裏側(北側)は古い町家が並ぶ安堂寺町通。
背中合わせに建っているのもタイル貼りの洒落た建物である。

『北島打抜金物(北島打抜工業所)』
旧称:
住所:大阪市中央区安堂寺町1-6-9
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年5月
現況:2016年7月現存(Google Mapで確認)

【参考】
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「野田二丁目の町家」

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福島区野田にあるタイル貼の立派な町家。





つやつやとした黒いタイル、瓦を乗せた袖壁(卯建)。
こういう豪華な長屋や商家建築は大阪の街に最近までそこそこ残っていた。



野田は古い町並の残る「長屋の街」として知られていたが
ここ10年ほどですっかり様変わりしてしまった。



前の路地を進んだ所、路上に簡易的な軒を張り出した古い青果店があった。
以前、この店はNHKでも取り上げられたことがある。
中央卸売市場のすぐそばにあるという立地から、いつも新鮮な野菜を仕入れられ
しかも売り切れればすぐに市場に買いに行くことが出来るのだ、という話をされていた。
残念ながら、この写真を撮影した時はすでに廃業されていて、
建替もしくは改築を予告する看板が掲示されていた。



路地をさらに進むとトンネルが見えてくる。
「長屋の街」名物の「長屋のトンネル」のひとつである。
かつては長屋の一階に敷地の奥に通り抜けられる通路を設けることが出来た。
明治後期の大火災「北の大火」以降、法律が整備されてトンネル設置は禁止されたため
現在は非常に数が少ない。
明治期の長屋の解体とともに数が激減している。
大阪市内に現存する明治期の長屋は野田と空堀(中央区)にしか無いらしい。



トンネルの天井には「雲」と書かれた紙が貼られている。
年々ボロボロになってきているが、誰も貼り替える人はいない。
この写真を撮影した2014年9月にはこの写真の通り、何とか残っていたが…。

大阪市の資料(下記リンク先参照)によると、トンネルの天井に「雲」の文字を貼るのは
神棚の上の天井に雲と書かれた紙を貼るのと同じく
「上には何もありません」という意味を持たせるためであるらしい。
トンネルの上は住宅の二階であるため、当然のことながら人が歩くことがある。
階下を通行する人に失礼にならぬよう、配慮しているのだろう。



もう片方のトンネルの出入り口。
トンネルが付属しているのは明治期の長屋である。

【野田まち】お地蔵さんの路地~大阪・野田界わい~

2:00頃より、八百屋の店主が登場。
2016年現在は失われてしまった風景が残されており、貴重な映像である。

『野田二丁目の町家』
旧称:
住所:大阪市福島区野田2
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年9月、2012年5月
現況:2014年9月現存確認

【参考】
参考図書一覧
福島区 公式ガイドマップ - 大阪市
大阪市市政 福島区の都市景観資源

【一覧】
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建築リスト 大阪府

「中南海貿易」

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台東区上野一丁目、「湯島中坂下」交差点にある古い商家。
看板等が出ていないため、どういう店なのかは不明。
ネットで検索すると、この住所地は「中南海貿易有限会社」と表示される。



立派な建物だが左隣の建物(理容館イシイ)の個性が強すぎてあまり目立たない。



私が行った時は入り口のガラス戸に
ビニールの小袋に入ったアクセサリーのようなものが
いろいろと張り付けられていた。

『中南海貿易』
旧称:
住所:東京都台東区上野1-13-4
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年5月
現況:2016年1月現存(Google Mapで確認)

【参考】
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建築リスト 東京都

×「一色屋菓子店」

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台東区上野一丁目、東京メトロ「湯島」駅前にあった看板建築。



2013年5月に撮影。
残念ながらこの日は建物の前が工事中であまりじっくり観察できず。



帰宅してストリートビューで確認した姿が下記の写真。



街路樹の葉が落ちた頃にまた見に行こう、と思っていたが
再訪することはなかった。

その後、2015年にストリートビューで再確認したところ、
リフォーム工事をしたらしく、まったく違う外観に変わってしまっていた。



『旧 一色屋菓子店』
旧称:
住所:台東区上野1-14
指定:

階数:地上3階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:昭和2年(1927年)

撮影:2013年5月
現況:×(建物は現存するが看板部分が変わってしまった)

【参考】
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ジャケット写真履歴

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2016.10~
◎「フジハラビル」大阪市北区 2014年撮影


2015.08~2016.10
×「大丸心斎橋店 心斎橋筋側正面玄関の孔雀像」大阪市中央区 2014年撮影、2016年解体予定


2015.05~2015.07
「旧第四師団司令部庁舎(旧大阪市立博物館)」大阪市中央区 2014年9月撮影
(※ブログテンプレートも変更)


2015.03~2015.05
「能登家住宅」大阪市大正区 2015年3月撮影


2014.11~2015.03
「大阪市中央公会堂」大阪市北区 2014年12月撮影



2014.11~2014.12
花月庵」大阪市天王寺区 2014年撮影



2014.08~2014.10
×「ダイビル本館」大阪市北区 2007年撮影、現存せず(一部保存)



2014.04~2014.07
×「大丸心斎橋店 御堂筋側玄関内部の天井」大阪市中央区 2012年撮影、2016年解体予定


「連続テレビ小説『ごちそうさん』セット公開(1)」

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2016年10月より、連続テレビ小説『ごちそうさん』がNHKBSで再放送されることになった。
放送当時は自分の生まれ故郷が舞台であること、
興味のある分野(戦前大阪の都市文化、近代建築など)がテーマであることから
夢中で視聴していた。

いつものことながら拙い写真であるが、2014年のドラマセット公開の時の写真を掲載する。
なお、公開されたセットは物語の後半、め以子が三人の子の母親として
家事と育児に奮闘していた時代のものである。
ドラマ序盤のものとは家具や設備が変わっている。



ドラマの舞台は開始当初は主人公め以子の生まれ故郷である東京・本郷、
それから結婚相手の生家のある大阪・天満に舞台を移す。
嫁ぎ先は200年続く由緒ある旧家(造り酒屋の分家)。
重厚な古い屋敷で結婚生活を送ることとなる。



【西門邸の門】
西門家の建物は「高塀造」「仕舞家造」と呼ばれる形式。
かつては市内にはこういう古い住宅がたくさん残っていたが
今はかなり数が減っている。
代表的な商家建築様式である表屋造を改造したもので、
廃業した後(もしくは職住分離)に表通りに面した店舗棟を解体し、
代わりに門と前栽(前庭)を設置したもの。
『細雪』の蒔岡の本家(長女鶴子の居宅)も同様の形式である。

住所はドラマ中に登場した郵便物によると「天満東二丁目」だが、架空の地名である。
「東天満二丁目」であれば、堀川小学校の付近。
なお、建物のモデルは北区豊崎にある登録有形文化財「吉田家住宅」。



【向かいの長屋】
屋敷の前の細い道をはさんで向かい側には長屋がある。
前述の「吉田家住宅」の主人一家は主屋の周囲に4棟の長屋を所有している。
その設定を生かしているのだろう。
西門家にも少しばかりの家作があり、長男 悠太郎が就職する前はそれが主な収入源だった。
没落する前までは吉田家のように多くの貸家を持っていたのではないかと思う。
物語序盤の時は、向かいの長屋の大家は西門家ではないかと思っていたが、
ドラマ後半における長屋住人のめ以子に対する態度を見ると、違うかもしれない。

「長屋」というと、現在では「庶民の町」「貧民街」というイメージが強いが
大阪市内には豪華な長屋が多く、決して貧乏くさいだけの存在ではない。
土蔵付き、離れ付、西洋邸宅風などデザインや設備に工夫を凝らしたものが造られ
中には文化財に登録されているものもある。



【前栽(前庭)】
格子戸の入った門を開けると石畳のアプローチが玄関に続き、その両側に小さな庭がある。
大阪の商家建築様式のスタンダードは細長い敷地に店舗棟・住居棟が前後に並ぶ「表屋造」。
店舗棟(表屋)と住居の間には建物をつなぐ細い玄関棟と中庭があった。
表屋と玄関棟を撤去した際に残った中庭がそのまま前栽として使われている。
なお、ドラマでは前庭に土蔵があるという設定。



【玄関①】
玄関扉もまた格子の入った引き戸である。
床には黒っぽい石(平瓦かも?)が敷かれており、
土間の部分はそのまま奥の台所(写真左手)に続く。
式台は主に来客が使っており、家族は台所の出入り口を使っている模様。

式台を上がると4畳ほどの小さな部屋がある。
子どもの頃、こういう小部屋のことを「玄関の間」と呼んでいたように記憶している。
来客の接遇の際、お客との関係や要件により、
・玄関で話す(客は式台に腰かける)。
・玄関の間に上がる。
・奥の座敷に通す。
とランクが分かれている。

西門家の玄関の間の奥は仏間になっており、その隣に広い座敷がある。
また左側の壁には台所の板の間(茶の間)に通じる襖もある。



【玄関②】
玄関の間との境に置かれた障子。
取っ手は障子には彫り込まれておらず、
持ち手の辺り(紅葉模様の部分)だけ紙が逆の向きから貼られているように見える。
障子紙は持ち手近くだけが手の脂で一か所だけがジワジワと汚れが進む。
このやり方だと張り替えが部分交換だけで済み、合理的だと思う。



【玄関③】
襖は光沢のある品の良い唐紙。
天井から下がるペンダント電灯のデザインも可愛らしい。
ただ、電化が進んだとは言え、
戦前期にこんなに多くの電灯を付けている家はあっただろうか?
おそらくドラマの演出だろうと思う。
時代考証に基づくとランプかもしれないが、室内が薄暗いと見ている方もつらい。

内装の細かいところが女性的で繊細なので、
西門家は女系家族なのではないかと思う。
悠太郎の父親は影が薄いし(突拍子もない行動をして迷惑をかけているわりに)、
婿養子なのではないだろうか。


<続く>

『連続テレビ小説「ごちそうさん」セット』
撮影:2014年3月
場所:NHK大阪放送局アトリウム(大阪市中央区)

【参考】
参考図書一覧
連続テレビ小説「ごちそうさん」 | NHKドラマ - NHKオンライン
再放送情報「ごちそうさん」 - NHKオンライン
ごちそうさん (2013年のテレビドラマ) - Wikipedia
“朝ドラ”同窓会 ごちそうさん - NHK

【一覧】
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「連続テレビ小説『ごちそうさん』セット公開(2)」

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西門邸が建てられた時期は不明。
め以子が悠太郎に連れられて大阪に来た時に
「すごいお屋敷ね」
「古いだけですよ」
という会話を交わす。

実は天満一帯は明治42年(1909年)に発生したキタの大火(天満焼け)という大火災により
丸焼けになっている。
その際に東天満の西門邸も被災しているはずだが、
どうやらこのドラマの世界ではキタの大火は無かったという設定のようだ。
(悠太郎の母が死んだのはミナミの大火、1912年)

個人的には、悠太郎の父母が結婚した際に建てたものではないかと考えている。
和枝の誕生年が明治19年(1886年)だそうなので、それより少し前。
め以子が嫁いで来た時は築40年くらいだから、そこそこ古い部類に入ると思う。

西門家は200年続く旧家の分家という設定で、本家の家業は造り酒屋である。
悠太郎たちの母親の得意料理かつ西門家の定番料理が柿の葉寿司ということから
「天野酒」で知られる河内長野の西條家をイメージしてドラマを見ていた。
西條合資会社の創業は享保3年(1718年)だそうだから、大正期には創業200年くらいになる。
柿の葉寿司というと奈良県や和歌山県の名物として知られているが、
和歌山県と高野街道でつながる大阪の奥河内の伝統料理でもある。

天満も昔は酒造が盛んに行われていて、樽屋橋など酒造に関する地名が残っている。
いつの頃かは不明だが、奥河内から天満の地に進出し、分家を置いたのだろう(と勝手に想像)。
酒造業を廃業した後は、貸家業に転じたものと思われる。
悠太郎の父、正蔵が会社を辞められたのは貸家業の収入がかなり多かったからだと思う。



セット公開当日に配布されたパンフレットには簡単な間取りが掲載されていた。
あくまでも「公開されたセットの間取り」であって、西門邸の間取りではない。
この図だと二階には一部屋しかないが、もっと広いはずであるし
一階の風呂場やトイレ、土蔵も省略されている。



【座敷】
茶の間・仏間の隣にある和室。
主に客間として使用されているらしく、
希子のお見合い、おせちを食べるシーンなどで使われた。
6畳の決して広い部屋ではないが、長押をめぐらせており、釘隠しもある。



【座敷の欄間】
額に書かれた文字は「吉祥善事(きっしょうぜんじ)」。
なお、欄間は大阪の伝統工芸のひとつである(大阪欄間)。



【床の間】
床柱は絞り丸太かなぁ。
狆潜りの材は竹(虎斑竹)に見える。
これみよがしな豪華さはないけれど、上品な部屋。

地袋の前に置かれているのは煙草盆だろうか?
悠太郎は非喫煙者だったと思うし、2セットあるので来客用として置いているのかもしれない。
め以子はガサツで悠太郎は朴念仁な人間だったが、
床の間の掛け軸や置物、生け花など四季折々のしつらえはどうしていたのだろうか?
お静さんか希子が気を付けてくれていたのかもしれない。

<続く>

『連続テレビ小説「ごちそうさん」セット』
撮影:2014年3月
場所:NHK大阪放送局アトリウム(大阪市中央区)

【参考】
参考図書一覧
連続テレビ小説「ごちそうさん」 | NHKドラマ - NHKオンライン
再放送情報「ごちそうさん」 - NHKオンライン
ごちそうさん (2013年のテレビドラマ) - Wikipedia
“朝ドラ”同窓会 ごちそうさん - NHK

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「連続テレビ小説『ごちそうさん』セット公開(3)」

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西門家の二階には何部屋あるのかは不明。
ドラマ序盤、子供たちが誕生する前は、
 ①悠太郎・め以子夫婦の部屋(たぶんもとは悠太郎の個室)
 ②お静さんの部屋
 ③和枝・希子の部屋
と最低でも三部屋は登場した。
セット公開の日に見学できたのは、悠太郎・め以子夫婦の部屋のみ。
ただし、家具やしつらえは新婚当時のものではなく、物語後半のもの。



二階の廊下。



夫婦の部屋。広さはたぶん6畳。

め以子が嫁入りに持ってきた桐箪笥は姿を消している。
ちなみに、伝統的な和箪笥は地域により少しづつ形状や意匠が異なる。
ドラマではめ以子の関東式の白い木肌の箪笥、
赤い漆で縁取られた和枝の箪笥、
衣装道楽なお静さんの年季の入った箪笥(大型のものが2棹はあったと思う)と
いろいろな箪笥を見ることが出来る。



家具は全体的にこじんまりとしている。
座布団に座って暮らしていたので視点が低いというのが理由のひとつ。
私はこういう昭和の古家具が好きで、
母の嫁入道具だった本棚や文机(PCデスクに使用)などを今でも愛用している。



この文机は悠太郎が学生のころから使っていたものだと思う。



桐の火鉢。
側面に可愛らしい布地が貼られている。
花模様の部分は日本刺繍だった。

『連続テレビ小説「ごちそうさん」セット』
撮影:2014年3月
場所:NHK大阪放送局アトリウム(大阪市中央区)

【参考】
参考図書一覧
連続テレビ小説「ごちそうさん」 | NHKドラマ - NHKオンライン
再放送情報「ごちそうさん」 - NHKオンライン
ごちそうさん (2013年のテレビドラマ) - Wikipedia
“朝ドラ”同窓会 ごちそうさん - NHK

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「連続テレビ小説『ごちそうさん』セット公開(4)」

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箪笥の話で思い出したが、会場には登場人物の衣装も展示されていた。
今年の春、『あさが来た』のセット公開を見に行った時は衣装コーナーが無くて残念だった。
(すごく良い衣装を使っていたから楽しみにしていたのに!)





マネキンの背景はめ以子が買い物に通っていた「天満天神市場」。

登場人物の人となりがよく分かる衣装を選んでいるなぁ。
さすがプロのスタイリストは違う。
め以子は元気な下町っ子という感じだし、お静さんの衣装には色気がある。



「いんじゃもん」時代の希子はおとなしい色柄の銘仙。
桜子は貧しい暮らしの中でもお嬢様風を崩さない。

よく大阪人の好む服装や色調が派手で下品だと言われる。
確かにそういう人もいるが、こっちに言わせればほかの地域、特に東国が地味なのだ。
好まれる色彩については地域性が大きく影響していて、
日差しが強く高温多湿な地域ほど明るい色合いが好まれるらしい。
確かに大阪の日差しは東京よりもはるかに明るいし、高温多湿だ。

また江戸時代は華美な服装が禁止され、
日本全国がみんな地味な身なりをしていたかのように思われがちだが
実際には大阪ではそれほど厳しく禁じられていたわけではない。
上方浮世絵を見ると、印刷物も江戸のものより華やかな色彩だし
実際に着用されていた衣類も明るい色合いが多かったようだ。
だから明るい色に対する苦手意識があまりないのだろう。

江戸時代、新品の衣類の流通は、大阪など上方が中心地で
上方で着ふるされた物が中古品として江戸に下っていたという話を聞いたことがある。
今と違い、昔は衣類は何度も染め直し、仕立て直しして着用するものだったから
中古品として人の手に渡った際に、
汚れの目立たない色=茶色や鼠色に染め直されていたのではないだろうか?
江戸は華美な服装が禁止されていたこともあるが
そもそもあまり明るい色合いの着物が流通していなかったのではないかと思う。

大阪方言には、着物の色柄やセンスを表現するのに4種類の言葉がある。
「地味・派手・こおと(こうと)・はんなり」
はんなりは華なりで、明るく華やかで上品な様子をさし、
こおとは高等、落ち着いた色合いで洗練されているさまを意味する。
(残念ながら、こおとは死語。はんなりは京都の専売特許のようになっているが…)

江戸にはこの「はんなり・こおと」を意味する単語が無い。
言葉が無いということは、概念も無かったのだろう。
はんなりと派手、こおとと地味の区別が無かったのではないか。



個人的には、和枝の衣装が一番好きだった。
まさに良家の女性の装い、落ち着いた大人の女性の「こおと」な着物である。



『連続テレビ小説「ごちそうさん」セット』
撮影:2014年3月
場所:NHK大阪放送局アトリウム(大阪市中央区)

【参考】
参考図書一覧
連続テレビ小説「ごちそうさん」 | NHKドラマ - NHKオンライン
再放送情報「ごちそうさん」 - NHKオンライン
ごちそうさん (2013年のテレビドラマ) - Wikipedia
“朝ドラ”同窓会 ごちそうさん - NHK

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「ロムデザイン事務所」

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西天満三丁目に残る古い商家建築。
今はデザイン事務所の看板がかかっているが、以前は「寶玉堂」という和菓子店だった。



建物の角が面取りされている。
今は板戸でふさがれているが、
そこには飾り窓かショーウインドウがあったのだろう。



「宝玉堂」を名乗る菓子店は近畿に複数あるが、ほとんどが煎餅店である。
大阪市が以前発行した案内図(下記リンク先参照)には煎餅とは書かれておらず
「高級和菓子商」と紹介されている。



軒裏の木材を露出せず、塗料(漆喰等)で塗り込めるのが大阪風の町家。
壁も構造材を見せない大壁が多い。
一方、京町家は軒裏には何も塗らず。壁は真壁(ハーフティンバーのような形式)。
京都はあまり火事が多くなかったのだろうか?

大正期以降は大阪でも軒裏や柱を見せる建物が登場するが、
昭和期に入ると軒は銅板で覆った箱軒、外壁は銅板やタイルを貼った建物が増える。
関東大震災の影響で防火意識が高まったのではないかと思う。



店舗は高級和菓子店らしく、和風建築なのだが
その奥には洋館風の建物が続いている。
この辺りは明治「北の大火」で大きな被害が出た場所なので
防災意識の向上から、耐火性の高い洋風建築にしたのではないだろうか。

大阪の商家では、建築の際に一番お金と手間をかけるのは店舗ではなく
工房や作業場と倉庫だと言う。
製造業である場合、工房や蔵が被災すると今後の経営に大きな差しさわるということもあるが
従業員の士気にかかわるという理由もあるそうだ。
作業場には店のどこよりも良い材を用い、良い設備を導入することが優先され
事務所や店舗部分は二の次らしい。



おそらく店に近い方の鉄格子が入っている部分が蔵と工房。



奥は雨戸が付いているので住居だと思う。



周囲には古く美しい建物が残っている。
なんとかこの景観を保ってもらいたいが…

『ロムデザイン事務所』
旧称:
住所:大阪市北区西天満4-8-28
指定:

階数:地上2階
構造:木造(蔵部分は鉄筋コンクリート造?)
設計:
施工:
竣工:大正期

撮影:2014年4月、2013年3月
現況:2016年7月現存(Google Mapで確認)


【参考】
参考図書一覧
大阪市北区 古きよき橋と建築コース(PDF)

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×「萬福園」

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西天満小学校の南側、西天満3交差点の近くにかつて存在していた商店建築。
近隣はぽつぽつと古い建物が点在しているエリアである。



この写真を撮影したのは2014年。
閉店してから時間が経ち、かなりさびれた雰囲気。



その昔は「萬福園」という名の宇治茶を扱う茶舗だった。
宇治の萬福寺にちなんで名付けたのだろう。



こちらは2007年、茶舗を営業していたころに撮ったもの。
はっきりとは読めないが、「茶」と書かれた白い看板がかかっている。
この看板のせいで、近隣の有名中国茶店(無茶空茶)と間違える人が時々いるのだと聞いた。

残念ながら、右隣のビル(原田法律事務所)とともに解体されてしまい、現存しない。

『萬福園』
旧称:
住所:大阪市北区西天満3-9-10
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:不詳(明治末期~大正期?)

撮影:2014年4月、2007年5月
現況:× 解体済

【参考】
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「西天満三丁目の住宅」

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前述の「ロムデザイン事務所」のお隣にある高塀造の瀟洒な住宅。



西天満三丁目あたりでは一番好きな建物で、近くに行くたびに
いつも憧れの目で眺めていた。

この建物の周囲は奇跡的に古い建物が残っており、素晴らしい景観だった。
写真の建物並び順は、左からロムデザイン事務所(宝玉堂)・当項目の建物、長屋(無茶空茶)
長屋(無茶空茶)の右隣にもかつては古い建物があったのだろうが、
すでにマンションに変わっており、そのマンションの右隣が萬福園だった。



高塀造(大塀造)は上方の和風建築の様式のひとつで
見ての通り、家の前に塀と門が設置されている。
表屋造(通りに面して店舗棟、その奥に住居棟の二つの建物が並ぶ伝統的な商家の建築様式)から
道路側の店舗棟を撤去し、塀と格子戸の入った門、前栽(庭)を置くスタイル。



門にはめ込まれた欄間が美しい。




20年位前までは、大阪市内中心部でもこういう和風邸宅をちらほら見かけたものだが
今はすっかり数少なくなってしまった。
時の流れとは言え、寂しい限りである。

『西天満三丁目の住宅』
旧称:
住所:大阪市北区西天満3
指定:

階数:
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2014年4月、2013年3月
現況:2016年7月現存(Google Mapで確認)


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