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Channel: ずぼら堂懐古録
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「海渡ビル」

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東京都中央区、馬喰横山駅近くの問屋街にあるビルディング。
総合卸の「エトワール海渡」の他、クリニック等が入居している。





撮影当時は気付かなかったが、向かい側にあるビルも
「横山町ビルディング」という近代建築であるらしい。
(エトワール海渡ショールームが入居)
設計者も同じ、中村與資平であるとのこと。

『海渡ビル』
旧称:小松ビル(小松・岡安・佐藤三氏共同ビル)
住所:東京都中央区日本橋横山町6-10
指定:

階数:地上6階
構造:鉄筋コンクリート造
設計:中村與資平
施工:中村工務所工事部
竣工:昭和3年(1928年)

撮影:2014年1月
現況:2015年4月(Google map)

【参考】
参考図書一覧
エトワール海渡

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「イーグルビル」

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東京都中央区日本橋馬喰町、浅草橋交差点にある近代建築。



『中央区平和祈念バーチャルミュージアム』に施主家族の空襲体験が掲載されている。
それによると、
『私のところは「イーグル・ビル」といって鉄筋コンクリート5階建てを住居兼店舗にしていた。
このビルは関東大震災後、東京市からの助成金で建てた本格的な耐震耐火建築で、
このおかげで最後まで焼けずにすんだのだと思う。』

イーグルは紙問屋の商号で、ノート類を取り扱っていたそうだ。
店舗は建物の3階まで、それより上は店主一家の住まいで、
戦時中、地下室は防空壕として使用された。

屋上に爆弾が落ちたものの、お手伝いさんの活躍で焼失は免れた。
近隣のビルには火災により大きな被害を受けたものも多かったそうだから
このお手伝いさんの勇敢な行動が無ければ、
ビルに避難してきた近隣住民5~60人の命は助からなかったし
私たちがこのビルを見ることもできなかったのだ。



かっこいいロゴ!



撮影当時(2014年1月)時は無かったが、今はアクセサリー店が入居しているらしい。

『イーグルビル』
旧称:
住所:東京都中央区日本橋馬喰町1-13-9
指定:

階数:地下1階~地上5階
構造:鉄筋コンクリート造
設計:
施工:
竣工:大正末期~昭和初期(関東大震災後)

撮影:2014年1月
現況:2015年8月現存

【参考】
参考図書一覧
空襲体験 中央区平和祈念バーチャルミュージアム
Dress up everyday (ドレスアップエブリデイ) - em

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◎「玉置薬局本店(玉置文治郎ビル)」

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東京都中央区東日本橋、浅草橋交差点の近くにある近代建築。
震災復興商業ビルのひとつ。



設計者の森山松之助は日本統治時代の台湾で活躍した建築家として知られている。
wikipediaによると、大阪船場(旧東区平野町)で五代友厚の甥とのことだが
残念ながら大阪には彼の代表作は無いようだ。



昔発行された当薬局の営業案内に掲載された写真によると
もともとは玄関上の黄色いテントは無かったようだ。
店舗の出入り口はアーチ型で、昭和初期らしい凝った装飾がほどこされていた。
今もテントの下から覗き込めば、確認できるかもしれない。

尚、かつての住所表記も掲載されている。
「東京市日本橋區横山町三丁目十五(十六、廿一)番地」
この営業案内には販売されている薬品のリストや
付近の風景を映した写真もあり、なかなか面白い。




『玉置薬局本店(玉置文治郎ビル)』
旧称:玉置文治郎商店
住所:東京都中央区東日本橋2-16-8
指定:

階数:地下1階~地上4階
構造:鉄筋コンクリート造
設計:森山松之助
施工:
竣工:昭和4年(1929年)

撮影:2014年1月
現況:(登録有形文化財)

【参考】
参考図書一覧
玉置文治郎ビル 文化遺産オンライン
近代デジタルライブラリー - 玉置文治郎商店営業案内
森山松之助 - Wikipedia

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◎「宇野薬局」

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大阪市中央区、松屋町筋沿いにある店舗兼住宅。
薬局の向かい側は大阪商工会議所。





松屋町筋を南側から北上すると、ぱっと見、戦後の看板建築に見える。



三階には袖壁があり、その上には丸い笠木のような部材が取り付けられていた。



ベージュ色のタイルで覆われた三階建てのモダンな建物。
三階にある丸窓が良いポイントになっている。
昭和初期に行われた道路拡張のための軒切りにより、店舗面積が減少したため
三階建に建て替えられた。

外装のタイルやスペイン瓦など西洋趣味を加味したモダンな建物だが
内部構造は熟練の大工の手による伝統的な通し柱構造であるらしい。



奥行きのある細長い敷地。



可愛らしい勝手口。
楕円型の外灯がブローチのように見える。
軒にあしらわれたギザギザ模様、焦げ茶色のタイルの貼り方がしゃれている。



面格子に取り付けられた古びた牛乳箱。
『いかるが牛乳 野牛乳店 東区内平野町二丁目』
東区は1989年に南区と合区し、現在は中央区。
内平野町二丁目はこの薬局のある徳井町よりも少し北側にある。
インターネットで調べてみたが、
今は内平野町には「青野牛乳店」なる牛乳屋は存在しないようだ。



裏庭を取り囲むのは和風の塀。



三階のベランダの手すりにもスペイン瓦。

昭和の終わり頃くらいまでは、
こういう和洋折衷型の三階建て町家は
大阪市内中心部の商業地にわりと残っていたような気がするのだが
現在はほとんど見かけることは無くなった。


『宇野薬局』
旧称:
住所:大阪市中央区徳井町2-3-3
指定:

階数:地上3階
構造:木造
設計:坂本建築事務所
施工:長岡栄吉
竣工:昭和9年(1934年)

撮影:2014年8月
現況:(国登録有形文化財)

【参考】
参考図書一覧
宇野薬局 文化遺産オンライン
大阪府登録文化財所有者の会

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「漢方マルヘイ薬局」

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大阪市中央区、古くから「くすりの町」として知られる道修町にある薬局。



表屋造を前後にぎゅっと縮めたような建物に見える。
大正~昭和初期に道路拡張のための軒切りが行われたから、
その時に店舗棟が大幅に削られてしまい、こういう形になったのかもしれない。

道修町の軒切りが行われたのは大正9年頃のこと。
拡張された道路は当時高価だった木煉瓦で舗装された。
道路に面した各戸が間口に応じて費用を出し合ったらしい。
毎週第一・第三土曜日の午後は一斉清掃の日で、
地元民総出で路面を洗浄したそうである。



マルヘイ薬局の西隣にはかつて「印度ビルディング」と言う近代建築が建っていた。
こじんまりとした可愛らしいビルだったが、残念ながら2005年に解体され、現存しない。


『漢方マルヘイ薬局』
旧称:
住所:大阪市中央区道修町1-5-4
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:(昭和58年に改修)

撮影:2013年8月
現況:2015年3月現存

【参考】
参考図書一覧
漢方薬のことなら漢方薬局・漢方マルヘイ薬局へ

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「北垣薬品」

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大阪市中央区道修町にある古い商家建築。
船場地区で現存する最古の建物と言われている。



真っ白な漆喰壁に虫籠窓という古めかしい外観だが、今なお現役の社屋として使用されている。
取り扱いは動物用の薬品類。
1763年の創業の薬種問屋で、現在の社長はおそらく七代目だと思う。

北垣薬品はもとは「大和屋清兵衛」という薬問屋。
屋号は「大和屋」だが初代の出身地は大和(奈良県)ではなく、和歌山県橋本市。
古い商家では地名を用いた屋号を名乗ることが多いが、
暖簾分けなどで主家(かつての奉公先)の屋号を付けることもあり
その地名は必ずしも創業者の出身地を示すものではない。



道修町一丁目の「漢方マンペイ薬局」の店舗と同じように
薄い店舗棟が大きな建物に貼りつけられたような形状をしている。

店舗の背面には塀や蔵が連なっている。



軒切りにより、船場商家の敷地面積はかなり減少した。
そのため、伝統的な商家建築から洋風のビルディングに建て替えたり、
従業員の住み込みを辞めて、社員寮を設けたり
もしくは主人一家が船場から芦屋などの郊外の住宅地に移住するなど
旧弊な船場商家のライフスタイルが大きく変化した。
通勤という新しい習慣や近代的なオフィスでの勤務のために
和装から洋服に変わり始めたのも同じ時期である。





庭の奥に少なくとも土蔵が二つある。



蔵に隣接して長屋がある。
ここにも北垣薬品の看板が掲げられていたように記憶している。
大阪の商家は副業として借家を所有していることが多かったそうなので
蔵の裏手にある長屋は北垣家の家作ではないかと思う。


『北垣薬品』
旧称:大和屋清兵衛家
住所:大阪市中央区道修町3-2-5
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:文政11年(1828年)

撮影:2014年12月、2013年8月
現況:2015年6月現存

【参考】
参考図書一覧
船場の木造建築展 船場地区HOPEゾーン協議会

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×「ヱビス薬局」

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大阪市福島区、野田恵美須神社の隣にあった古い薬局。
残念ながら、2014年頃に解体された。



白漆喰塗りの外壁に卯建(袖壁?)、虫籠窓というクラシカルな商家建築。
2階の階高が低いので、明治期の建物ではないかと思う。

軒裏まで漆喰を塗り込めるのが大阪風の町家建築の特徴。
おそらく火災対策だろう。
外壁も漆喰でしっかり覆いつくした大壁が主流。

いわゆる京町家は軒裏部分には漆喰を塗らず、木材がむき出しのままである。
大阪でも大正期の頃は京町家のような、真壁(ハーフティンバーのように木質部分が露出した壁)で
軒裏に漆喰を塗らない形式の建物が流行した。
おそらく、急激に都市部の人口が増え、短納期での住宅建設が急務になったことと
施工費節約のためだろう。

しかし、関東大震災の教訓のせいか大正末期以降の町家建築は
軒周辺の木材を露出することは少なくなり、銅板などの耐火素材で被覆するようになる。
大阪の町家にはその時々の流行や変化が取り入れられているために
素人でも大体の時代の判別がつくのだが、京町家はどれも似ていてよく分からない。



軒先に吊るされていた古びたプラスチック看板。

「くさのクスリ」
  くさ=できもの、疱瘡など皮膚病の総称。「かさ」とも言う。

「オヤタスケ 親助」
  福島区の街歩きを紹介するホームページで
  「でんぼやあせもの特効薬として人気だった軟膏」との記載あり。
  「でんぼ」とは、上方方言でオデキ(できもの)や腫れもののこと。

おそらく、それぞれが別個の薬剤の名称なのではなく、
「くさのクスリ=オヤタスケ」なのだろう。
患部をかきむしって出血したり、むずがっていつまでも泣き止まなかったりと
親を困らせる子供を鎮めることから、「親助け」と名付けたのではないだろうか。

皮膚薬を宣伝する古いプラ看板・ブリキ看板では
頭部に包帯をグルグル巻にされた小児の絵姿が散見される。
「できもの=子供」というイメージがあったのだろう。
自身の子供の頃のことを思い出しても、確かによく湿疹が出来ていたように思う。





並びには同じように2階の高さが低めの長屋が隣接していたが
ヱビス薬局の建物が解体された時と同時に解体され、今は集合住宅に変わっている。
他にも箱軒のついたタイル貼りの豪華な邸宅もあったのだが
薬局解体の何年か前に解体され、跡地は駐車場である。
薬局も町家も保存状態が良かっただけに非常に残念だ。
明治期の物と思われる漆喰壁の商店、長屋、昭和初期風の重厚な邸宅が一直線に並び
その向かい側は神社の植栽と石垣という、古風で素晴らし眺めだった。



Google Earthの画像。
野田恵美須神社の敷地に沿って、瓦屋根の建物が並んでいたことが分かる。
黄色い丸印がヱビス薬局、その右側にある駐車場に邸宅があった。



Googleのストリートビュー画像。
建物の1棟1棟にもそれぞれに価値があるのだが、
古い建物が連なっているという景観には、さらに付加価値があると思う。
今、この細い道路沿いに残る古い建物は
屋内駐車場として使用されている古い銭湯建築だけである。


『ヱビス薬局』
旧称:
住所:大阪市福島区玉川4
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年8月
現況:×(2014年頃解体)

【参考】
参考図書一覧
瘡(カサ)とは - コトバンク
湿疹・くさ・皮膚病
でんぼとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

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×「玉川三丁目の住宅」

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大阪市福島区、「ヱビス薬局」の並びにあった美しい邸宅。



以前、別ブログにてこの建物を紹介したところ、
「昔は旅館だった」との情報をいただいた。
この写真を撮った頃は旅館の看板は無く、住宅として使われていた。
写真の右端に映っているのは「宝モータープール」、昔は銭湯として使用されていた建物。
薬局、旅館、銭湯が並んでいるということは、繁華な場所だったのだろう。



凝った意匠の袖壁。
上部には瓦屋根が載っているが、下部は西洋風のデザイン。
こういう和洋折衷型の袖壁は大阪市内でしばしば見受けられる。



この屋根の重なりがとても美しかった。
軒裏には銅板が貼られていたようだが、箱軒部分は白く塗られていた。
銅板が張り巡らされていると重厚なイメージだが、軒先が白いため軽やかな雰囲気。

建物の右側には冠木門が置かれ、地面には石畳が敷かれていた。
細い道路を挟んで向かいには野田恵美須神社の石垣と植栽がある。
お祭りの日以外は静かで、夏でも涼しげだったのを今でもよく覚えている。



2015年夏現在、跡地は駐車場として利用されている。
残されているのは、隣との境界にある塀と西洋風の柱状の装飾のみである。


『玉川三丁目の住宅』
旧称:
住所:大阪市福島区玉川3
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2012年3月
現況:×(2012年秋頃に解体)

【参考】
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「玉川三丁目、新なにわ筋沿いの住宅」

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大阪市福島区にある古民家。



ヱビス薬局」が解体された跡地は一階にコンビニが入居する
集合住宅に建て替えられた。
その集合住宅の駐車場に隣接しているのが当項目の住宅である。



気の毒なことに新なにわ筋に面している外壁にはひどい落書きがされている。





二階の階高が低いので、これもまた結構年代物の建物だと思う。



背後に見える橋脚は阪神高速3号神戸線のもの。



石の上にエアコン室外機が置かれている。
この石は路地の石畳として使われていたものだろうか?



『玉川三丁目、新なにわ筋沿いの住宅』
旧称:
住所:大阪市福島区玉川4
指定:

階数:地上2階
構造:木造
施工:
竣工:

撮影:2015年5月、2012年11月
現況:2015年5月現存

【参考】
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×「野田二丁目の住宅」

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戦前の町並みが残る大阪市福島区野田。
残念ながら、古い建物は着実に失われつつある。



野田二丁目にかつて存在していた箱軒の住宅。
立派な建物だったが、数年前に解体され現存しない。
跡地には低層の集合住宅が建てられている。

『野田二丁目の住宅』
旧称:
住所:大阪市福島区野田2-18
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:昭和初期?

撮影:2012年5月
現況:×(2012~2013年頃解体)

【参考】
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×「野田二丁目の商店建築」

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大阪市福島区野田にかつて存在していた商店建築。おそらく長屋。
はっきり覚えていないが、どちらか片方は喫茶店だったように思う。



この界隈は昔は賑やかな商店街だったようだが、今はすっかり静かになっている。
すぐ近くにあった公設市場(気ララ野田)は閉店し、銭湯(千成湯)は廃業。
古い長屋や邸宅も次々に解体されている。



15年ほど前までは、名作と名高い古地図「大阪市パノラマ地図」そのままの風景が点在していたが
あと数年もすれば、普通の住宅街とさほど変わらない街並みになっているかもしれない。

『野田二丁目の看板建築』
旧称:
住所:大阪市福島区野田2-16
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:昭和初期?

撮影:2012年5月
現況:×(解体済、現存せず)

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「源八橋西詰の商店建築(北側)」

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大阪市北区、大川に架橋されている源八橋のたもとにある商店建築。



道路の両側にまるでゲートの様な形で、2軒のそっくりな建物が建っている。



現在は看板は無い。住宅として使用されているのかもしれない。



窓枠はアルミサッシに変更されている。





『源八橋西詰の商店建築(北側)』
旧称:
住所:大阪市北区天満橋2丁目1-6
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2015年1月
現況:2015年1月現存

【参考】
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「源八橋西詰の商店建築(南側)」

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大阪市北区天満橋一丁目、源八橋たもとに1対の商店建築が残されている。
こちらは南側に建っている方の建物。



一階には青いテントが取り付けられている。





ネット上の地図によると、屋号は「石黒商店」。たばこ屋である。





古びた看板が残っていた。
「はり やいと石黒鍼灸治療院」。



二階の窓。



かなり奥行きは薄い。

『源八橋西詰の商店建築(南側)、石黒商店』
旧称:石黒鍼灸治療院
住所:大阪市北区 天満橋1-8-71
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2015年1月
現況:2015年1月現存

【参考】
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「矢島写真館」

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台東区根岸にあった可愛い写真館。
この界隈はぽつぽつと古い看板建築や和風の商店建築などが点在しており
散歩していて楽しい場所である。
(ただ気軽に入れる喫茶店等が少ないのが困る)



赤い屋根、スクラッチタイルの外壁、白い窓枠。
大正時代に建てられたときは外壁は板張りだったそうだが
昭和初期にタイル貼りに。
デジタル化で写真館の利用者が激減したこと、
当代店主の高齢化により2013年6月に閉店。



このカタガラスの窓が気に入って写真に撮ったのだが
改めて見ると、少し写りこんでいる玄関周りの意匠が気になる。
もっとじっくり観察しておけばよかった。

グーグルのストリートビュー、2015年4月の画像では
画像には写真館の真ん前に2台の引っ越し業者のトラックが写っている。
もしかしたら、店主の引越しのためのものだろうか。
そう思うと何だか切ない。

一度、「解体決定」のニュースが流れたが、その後、解体が撤回されたとの報道があった。
とりあえず一安心である。

『矢島写真館』
旧称:矢島寫眞館
住所:東京都台東区根岸4-1-25
指定:

階数:地上2階
構造:
設計:
施工:
竣工:1918(大正7)年、1930(昭和5)年頃に外壁を改装

撮影:2013年2月
現況:解体決定→撤回

【参考】
参考図書一覧
大震災・戦火にも耐えた根岸「矢島写真館」が閉店-95年の歴史に幕
根岸の築100年越えの古民家解体へ-高層マンションへ建て替え

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「鈴木食品工業」

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台東区根岸三丁目、金杉通り沿いにある看板建築。
通りを挟んで向かいにあるのが、「かなすぎ美容室」。



『鈴木食品工業』
旧称:
住所:東京都台東区根岸3-16-17
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年2月
現況:2014年5月(Google Map確認)

【参考】
参考図書一覧
鈴木食品工業株式会社: 業務用ドレッシング、ソース、たれのメーカー

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「かなすぎ美容室」

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東京都台東区、金杉通りにある美容院。



テントには「美容室&かつら」とある。
お店のホームページには結髪の様子を撮影した動画や日本髪のヘアスタイル集が掲載されており
興味深く拝見した。

『かなすぎ美容室』
旧称:
住所:台東区下谷2-19-2
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年2月
現況:2014年5月現存(Google Map確認)

【参考】
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かなすぎ美容室

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「根岸三丁目の看板建築」

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台東区根岸三丁目、「鈴木食品工業」の近くにある建物。



外壁素材は金属なのだろうけれど、塗装が重ねられていて元の風合いが分からない。
写真では分かりづらいが、パラペット上辺には雷文のような模様が付いている。

『根岸三丁目の看板建築』
旧称:
住所:東京都台東区根岸3-16
指定:

階数:地上1階?
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年2月
現況:2015年3月現存(Google Map確認)

【参考】
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「大衆中華 光陽楼」

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台東区、根岸一丁目交差点の近くにある銅板貼りの商店。




『大衆中華 光陽楼』
旧称:
住所:台東区根岸3-1
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:

撮影:2013年2月
現況:2014年5月現存(Google Map確認)

【参考】
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×「五十嵐提灯店」

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台東区下谷にある老舗提灯店、創業は慶応3年(1867年)。



提灯店の右側の瓦屋根は「文芸社印刷所」(明治27年築)。
左側の重厚な建物は「ギャルリー根岸(旧和泉屋蒲鉾店)」。
残念ながら、3軒とも解体され、跡地には高層マンションが建設予定。

『五十嵐提灯店』
旧称:
住所:東京都台東区根岸3-2-14
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:昭和4年(1929年)

撮影:2013年2月
現況:×(解体)

【参考】
参考図書一覧
五十嵐提灯店
有限会社五十嵐提灯店 - iタウンページ
根岸の築100年越えの古民家解体へ-高層マンションへ建て替え

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建築リスト 東京都

×「ギャルリー根岸」

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台東区根岸にあった土蔵造の商家建築。
渋い黒漆喰の素晴らしい建物だったが、残念ながら解体された。
跡地には高層マンションが建設される。

かつては明治時代から続く蒲鉾店であったが、2006年に廃業。
その後はギャラリーとして使われていた。



都内ではこういうタイプの建物は珍しいのではないだろうか。
私は関東の建築様式には詳しくないのでよく分からないが
埼玉県の川越などで見かけられる重厚な土蔵造である。

軒下の蛇腹状の部分は、大阪周辺の昭和初期の民家でもしばしば見受けられるデザインで
大阪では「箱軒」と呼ばれている。
(川越では「軒蛇腹」と言うらしい)
箱軒・軒蛇腹の建物は東京では見かけず、その周辺部に多いのは
やはり関東大震災で消滅してしまったのだろうか。




↑大阪府富田林市「寺内町」にて撮影。
この建物の箱軒部分は漆喰か何かで塗られているようだが
大阪では箱軒部分には防火と装飾性を兼ねて銅板を貼っていることが多い。
外壁は軒裏まで漆喰を塗り込める「大壁」。



並びにあった「五十嵐提灯店」(昭和4年築)、「文芸社印刷所」(明治27年築)も
ともに解体され、この古風な眺めは永遠に失われた。



『ギャルリー根岸』
旧称:和泉屋蒲鉾店
住所:東京都台東区根岸3-2-14
指定:

階数:地上2階
構造:木造
設計:
施工:
竣工:明治期?

撮影:2013年2月
現況:×(2014年11月解体工事開始)

【参考】
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根岸の築100年越えの古民家解体へ-高層マンションへ建て替え

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